人間関係近況

1.はじめに

 ちょっとした、というには重い話なのですが、最近悩みがあるので相談・整理がてら纏めようと思います。人間関係の話です。日記みたいなものなので柔らかく、できれば明るくしたかった・・・のですが文体も内容もどうしても固く暗いものになってしまいました。

2.現況

 知らない人も多いと思うので現況を説明すると、現在僕は大学5回生(1年留年しています)なのですが、2回生~4回生前半にかけてほとんど友達と会わない生活(酷い時期は二週に一度友達と会話があればいい方なくらい)を送っていて、このままではいけないと4回生中期で思い始めました。

 そこで、やはり遊戯王をやる相手も欲しいということで、なんとなく敬遠していた(理由は後述)遊戯王サークルに入ろうかなと思い、見学の後サークルに入ることにしました。今も、時折参加しています。

 また、2回生の頃あたりだったかと思いますが、とあるボランティア団体(一応ぼかします、会った人には大体知らせているかなと思いますが)に加入して、それから今まで月1~2ぐらいでボランティア活動(と言っても報酬はあるのですが)をしています。楽しいことばかりではないですがいくらかやりがいがあるものです。

 今悩んでいる問題はこの「サークル」と「ボランティア」に関する問題です。

3.悩み

 悩みを簡単に言うと、「同じ集団に属する彼らに心を開ききれない」ということです。色々根が深い問題なので、順に説明していきます。

3.1.サークル

 サークルで僕がどんな生活をしているかもう少し詳しく説明しようかと思います。サークルでは僕は"強い方"で、また回生・年齢や、僕の遊戯王へののめりこみ方が「広く深く」と控えめに言っても相当なものなことから、やはりどちらかといえば「披露する側」なことが多いです。レリーフコンプセットやゲートボールやデュエルチェスなど、色々なものを見せたこともありました。

 また基本的に活動は平日の特定の曜日の放課後なのですが、休日にどこかで集まっていればそこに行くこともありますし、嫌いなメンバーもいません。サークルが一緒かつ前述のボランティアも一緒という人さえいて、また色々真面目な話をすることもあり、関係は悪くないかなと思っています。ですが、それでも「心を開ききれないことを申し訳なく思っている」ことから、たまに居心地が悪いなと思ってしまいます。

3.2.ボランティア

 ボランティアの内容に関しては諸事情から詳細は割愛しますが、接客方面でのボランティアです。ボランティアの活動は全国に渡り、メンバーの人数の総計は数百人ほどいて、関西に絞れば数十人ほどですがそれでも全員を把握はしていないほどです。年に2回ほど大きい飲み会があるのでそれにもたまに参加したり、ある程度メンバーとコミュニケーションを取ることもあります。ですが、個人的に会うような人はおらず、活動が終われば一人で帰ることが多いです。他の人はその後も解散せず食事なり行くこともあるそうですが・・・。

 このボランティアも「あるオタク趣味」に関わっていることなのですが、価値観の違いをよく感じることや深い仲の人がいないことから、活動していても孤独感を感じることがしばしばあります。

 簡単に「同じ集団に属する彼らに心を開ききれない」と書きましたが、恐らく二つの集団で問題は微妙に違うもので、前者では「心を開ききれないことを申し訳なく思っていることからの閉塞感」、後者では「心を開ききれないことから数年過ごしても上手く馴染めないことによる孤独感」が問題なのかなと思います。

 また、Twitterもここに大きく関わっていて、彼らにたまにTwitterのアカウントを聞かれるのですが、適当な理由をつけて誤魔化してしまいます。心を開きたいと思っているなら教えてもいいはずなのですが、どうにも躊躇ってしまいます。

 この「もっと心を開きたいのにどうにも壁を作ってしまう」問題の原因をいくつか自分で考えてみます。

4.考えられる原因

 まず考えられる原因として一つ挙げられる出来事に、「1回生の頃無理に友達を作ろうとして、気が合わない人とも長く接した結果、人間関係が嫌になった」ことが大きくあるかなと思います。2年半もの間人間関係に進展が無かったのは恐らくこれが原因で、今も人間関係に臆病になっている節があります。しかしこれがどの人間関係にも当てはまるならともかく、「今までの友達の友達」とは、特に地元に帰った時が多いですが、よく仲良くなったりしますし、この2つのグループにだけ上手く心開けないのが気がかりです。大学には幸運にも他に2人ほど深い仲と言える友達がいますが、2人と仲良くなったのは臆病になる前の1回生の時期です。やはりその"トラウマ"が大きく尾を引いているのかなと。

 またTwitterの件ですが、僕にとってTwitterは恐らく一番のストレス解消になっていて、また僕の人間性を大きくさらけ出している(そのこと自体も"一番のストレス解消"たる理由だと思いますが)為、僕の中では一種の聖域のようなものになっているのかなと思っています。僕にとって「(会って話す知り合いで)心を完全に開いている」というのは「Twitterアカウントを教えても良いと思う」とほとんど同義になっているような気がしています。

 じゃあ何故「心を完全に開けない」=「Twitterアカウントを隠している」のか。やはり、「価値観の違い」が大きいかなと思います。サークルのメンバーは競技層とは言えない人が多いですし、また集まってもひたすらマッチで調整するというよりかはシングル何回かやって別の人と交代、と不完全燃焼で終わることもよくあります。ボランティアのメンバーも、趣味が共通とは言え価値観が違えば気も合わないもので、話していても合わないと思うことが多いです。

 また、二つの集団に共通して思っていたのですが、「どうせ価値観が違いそうだから気が合わないだろう」と決めつけていたところがあります。「大学の遊戯サークルなんてのはカジュアル層ばかりで気が合わない人ばかりだろう」「ボランティアも、趣味は同じとはいえ自分と同じ姿勢・価値観の人はそう多くないのではないか」と考えていました。その先入観が、今でも踏み込めない原因の一端を担っているのでは無いかなと思っています。実際には似た価値観の人も1,2人ほどずついたのですが、何故かどうにも心を開ききれないです。

 やはり、価値観の違いは大きいのかなと思います。これまで僕は「趣味が共通なら仲良くなりやすい」との認識を持っていましたが、「半端に趣味が共通な為に深い仲になれない」こともあるのかなと思えてきました。

 もう一つ考えられる原因が残っているのですが、一度次の段を挟みます。

5.予想される意見

 ここまで読んでくれた方で、「考えすぎ」と思う人は少なくないのかなと思います。自分でもそう思います。「別にTwitterのアカウントくらい教えたらいいのに」「別にアカウント教えたくないからって引け目に感じることないのに」などいくつも"考えすぎ"ポイントがあります。分かってはいるのですが、生来考えすぎてしまうタチで、どうにも・・・。

 「アカウントを教えていないことが心を開いていないことにはならないのでは」・・・、そうかもしれません。"心を開く"の定義は難しいところで、例えばサークルのメンバーに弱味を見せることにほとんど躊躇は無かったりするのですが、やはりアカウントはあまり教える気になれません。僕がTwitterを神聖視(ニュアンスが微妙におかしいかもしれませんが)しすぎている節はあると思います。例えばTwitterで呟く内容を会って話すことに躊躇は無いのに、そのアカウントを教えたくないのは何が絡んでいるのか、自分のことながら不可解です。また、Twitterのことを抜きにしても、何か形容しがたい壁が"こちら側に"ある気がしてなりません。

 また、「価値観が違うんだから無理に仲良くする必要はないのでは」と思う人もいると思います。実際、ボランティアではそれでいいのかなと思うこともあります。「他のボランティアメンバー同士で気が合う人もいたようだが、自分はいなかった、もしくは縁がなかった」だけのことであり、少々の孤独をそう恥じることもないのかなと。しかし、サークルでは"ほとんど"心を開いているが故に、あと一歩が踏み込めないことにもどかしさを感じてしまいます。

6.残りの原因

 一つ、これは少年期の生活環境から染み付いてしまったものなのですが、僕は自分と同じ、いわゆるオタク趣味の人を敬遠する傾向があります。といっても「オタク趣味だから敬遠している」訳ではなく、「オタク趣味の人は挙動がおかしい人が明らかに多く、敬遠することが多い」といった方が正しいのだと思いますが・・・。実際ここ数年"心を開いた"人はオタク趣味があろうがなかろうが変な挙動をする人はいないです(と言っていいと思います)。

(微妙に話が逸れますが、自分で自分の挙動がおかしいと思うこともあり、よく自己批判をしています。)

 そんなオタク趣味の集団である二つのグループに、どこか初めから敬遠の姿勢で望んでいたのかもしれません。そこには「価値観が違うだろうと決めつけていた」ことも関わっています。「深い仲になれる人は見つからないだろう」と思いながら加入した結果、深い仲になろうとしても踏み込めなくなってしまったのは、自然といえば自然なのかもしれません。

7.解決策

 解決策もいくつか浮かんではいます。

・「別のTwitterのアカウントを作り教える」

 妥当な策かなと。遊戯・声優趣味・学校と既に3つアカウントがありますし、加えて「オタク趣味(サークルとボランティアの限られた人用)」なんてアカウントを作るのかという点がありますが、Twitterには(良くも悪くも)依存しているので一つアカウントを増やすことにそこまで躊躇いはないです。少々管理が面倒という点で今は少々躊躇っていますが、検討中です。

・「時間による解決」

 これも妥当だと思います。過ごす時間を重ねていくにつれて、もっと心を開けるでしょうし、いつかはアカウントを教える気になるかもしれません。ここまで仰々しく書きましたが、ふと次会った時でも解決に至る可能性すら0ではないのかなと思っています。

・「別の"心の開き方"を考える」

 今は全く思いつきませんが、いつかアカウントなど教えなくても「完全に心を開く」ことができるのかもしれないなと思います。

8.最後に

 なんだか、「気にしすぎ」と言える拗れた人間関係近況を長々と語ってしまいました。軽い日記のつもりでしたが、こんな長い日記を最後まで読んでくれる人は果たしているのかと思いながら筆を進めています。

 人間関係に臆病になってしまって、それは友達の友達ぐらいの人ならばある程度緩和されるのですが、いざ一人で新しく深い仲の友達を作ることは困難に感じてしまいます。サークルを訪ねたきっかけにはそれを突破したいと思ったこともあるのですが、先述した先入観を長い間抱えていたこともあり、まだこちら側の壁を壊すことができません。

 解決策も思いついてはいて、特に1個目の策はすぐにでも実行できるものですが、依然「自分を隠している感覚」は拭えないままなのではないかなと思ってしまいます。いわば「本来の自分を教えたくないから仮の自分を見せてお茶を濁す」行為でもあり(というのもまた"考えすぎ"なのでしょうが)深い仲になる手順にはならないんじゃないかなと予想しています。

 もしかしたら、真に心を開ける人が本当に多い今、もはや深い仲の人を新しく作る必然性も、人間関係に臆病な現状を改善する必要もないのかもしれません。そんな考え方をすれば、閉塞感や孤独感を気にすることも無くなるかもしれません。

 補足のようにこの段を進めていきましたが、そろそろここで終えようかと思います。就職の際には関西を離れようと思っている現状、彼らとの距離は遠くない内離れそうです。その時関係がどのような形になっているかは分かりませんが、この心の"つっかえ"は取れたままその時を迎えたいところです。

余談:自分の感情の大体には理由をつけられていると思うのですが、アカウントを教えたくない理由が微妙に分かりません。大事なものだから教えたくない、というのはあるとして、しかし大学の他の友達2人に教えるのに躊躇いはあまり無いんですよね・・・。実際1人とはFFで繋がってますし、もう1人にもアカウントがあることは教えたりしました。