ジャッジについてその二、~正確性と人柄~

1.はじめに

 前回に引き続きジャッジについての記事です。今回は「正確性」と「人柄」について考えていきたいと思います。

2.本論

 序論で書くようなことは前回の「2.ジャッジの条件」で書いてしまったので、いきなり本論から書き始めます。

2.1.1.正確性

 正確性について考え始めたいと思うのですが、これについてそう語ることは多くないかと思われます。と言うのもジャッジに「正確性」が必要なのはほとんど自明であって、つまるところジャッジにミスは許されません。余談、個人的な話になるのですが、私はジャッジ業務中に対応したほとんどの事例で他のジャッジに確認を取っています。完璧と思っている知識も綻びがあるのが普通で、確実に合っていると思っている知識も間違っていることがあります。とはいえあまりに自明な事柄(この辺りの区別は大雑把ですが)にすら確認を取るようではそのジャッジの存在理由が問われかねないですので、どんな事例でも確認をする、という訳ではありません。

 私の経験では、ルールについて詳しいジャッジを集めたつもりでも1大会に平均1つほどはミスジャッジが起こってしまいます(ミスをするなんて"ルールについて詳しいジャッジ"ではないのでは、という当然の疑問が湧くと思いますが、ミスを少なくするのは難しい、といった主張を読み取っていただければ充分です)。

2.1.2.人柄

 意外に思われるかもしれませんが、この「人柄」というのも重要な要素の一つだと思っています。と言うのも、プレイヤーに信用されないジャッジはその時点で資質を欠いているからです。ジャッジはプレイヤーに裁定を下す"絶対の"存在であり、プレイヤーからすればゲーム中困った際、他に頼れるものはいません。やはりその点を考えると、ジャッジは信頼・信用されなければならずそれに伴う人間性を備えていなければならないのではないでしょうか。

 では"それに伴う人間性"とは何かという話になります。信頼されるべき、と書きましたが、その条件には「実績(プレイヤーとしてやジャッジとしての)」や「プレイヤーへの対応の良さ」などや、ともすれば(ユーザーの見方によっては)「生活態度」なども関わることもあるかもしれません。全てを満たしている必要は無いですが(実績など初めは0でしょうし)、できればジャッジは"良い"人間であってほしいところです。

(余談:"良い"人間であれ、なんて大雑把な話になってしまったかもしれません。が、私生活も安定していない人間や高圧的な態度をとる人よりかは、きっちり私生活もこなしていたり丁寧に対応したりする人の方が信用しやすい、というのを完全に否定する方はそういないのではないかと思います。「実績」「生活態度」は絶対の条件ではありませんが、「プレイヤーへの対応の良さ」はできれば必須条件としたいところです。)

3.結論

 ジャッジングの内容半分、ジャッジそのものについての議論が半分でした。「正確性」は自明な条件ですが、一度取り上げてしまえば「人柄」も当然の条件なのかもしれません。

 さて、記事二つにわたる「ジャッジについて」の議論が終わりました。前の記事も合わせて結論を簡単に述べるのは難しいですが、「完全なジャッジングには様々な条件を要する」といったことを分かっていただけたらなと思います。特に「公平性」の段での「"どの"公平性を重んじるのか」や「人柄」の段での「プレイヤーへの対応の良さ」は見落としがちなものかなと思います。

 一度、ジャッジの機会がある方はそれぞれ自身のジャッジについて考えてもよいのではないかと思います。普段何気なく下していた裁定が、もしかしたら「公平でない」ものであるかもしれません。

 それではこの辺りで失礼します。読んでいただけた方のジャッジング技術が少しでも向上していただけたら幸いです。

(偉そうに結論を述べましたが、私のジャッジング技術もまだまだ未熟なもので、もっと深く考慮したり経験を積んだりしたいところです。)