V文化

ザ・お気持ち表明

「俺の好きなものが貶されるのが耐えられない」って人は見ない方がいいです

Vtuber文化

 俺は2次元アニメも好きだし、3次元声優に熱中していた時もあったし、ラブライブ!みたいないわゆる2.5次元みたいなのを好きな時期もあったから、Vtuber文化に適性があるのかと軽く触れた。が、この文化を好きな人が大勢いる中でわざわざTwitterでは言わないけども、本当に嫌な文化だなと思ってしまう。俺がこの不快感の由来が何なのか、俺の自己分析ばかりの日々で最近よく考えていた(やることがないとこういう思索ばかりになってしまう)。恐らく「現実の嫌な部分が目に入ってくる」「作られた顔での自己顕示に滑稽さを感じる」とかなのだろうと思う、それをもっと詳しく記す。ここからは俺がただ何を考えているかに尽きるもので、つまり俺が個人ブログでの発信に留めるべきものである。

・「現実の嫌な部分」を見てられない

 アニメやエロゲや美少女系ソシャゲやらの2次元美少女コンテンツは(もしくは2次元コンテンツ自体が)、「現実から抽出された良い部分」だけを見ることができるのが大きな利点としてある、と思う。少なくとも俺はこれを求めている。"ちょっとめんどくさい女の子"はいても、その子が例えば主人公に生理痛の辛さを訴えるようなことはしない。"おつむの弱い子"の日本語の使い方がいつもおかしかったとしても、会話に著しく支障をきたすような描写は(基本的には)ない。

 Vtuberは明確に3次元コンテンツだなと、俺は切り抜きを飛ばし飛ばしか精々数分見たくらいだけど、そう思う。"バーチャル"を被ってはいるが、そのキャラの設定を忠実に守っている人はごく少数だろう。というよりおそらくファンもそのVの"生"を見たいのであって、例えば女王のキャラであるVtuberが忠実に「今日は国を守るために仕事をしましたが、あまり上手くいきませんでした」と言うよりは「今日は国を守るための諸々の納期が迫ってて上司にめっちゃ怒られました」の方がまあウケはいいだろう。「女王」に上司はいないのにも関わらず。V同士でオフで会いましたみたいな話はその典型。もう"バーチャル"ではない、がそれを望むファンをかなり多く見る。"バーチャル"を通してはいるが、結局素人女のライブ配信とそう変わらないと俺の主観では思う。ゲームで奇声を上げる配信者とそれを喜ぶファンの構図はエロライブチャットと違いを感じない。(ちなみに、それを低劣だとか言うつもりはあんまり無い。2次元オタクがそれに萌えていることに悲しさはある。)

 俺はこういうコンテンツで"生"の部分、「現実の都合の悪い部分」が見えると萎えてしまう。これは"あちら側"の話だけでなく、"こちら側"である他のファンにも強く向く。もはや"生"であるVに向けるファンのコメントやらスパチャやらに、俺は性欲・媚びといった「現実の都合の悪い部分」を感じてしまう。2次元コンテンツでは「都合の悪い部分」は描かれない。3次元アイドルコンテンツでもそういう部分をできるだけ隠してくれるだろう。俺は高坂穂乃果ちゃんに本当は大学生の彼氏がいたとしても、好きな声優が別垢で政権を叩いていても気にすることはない。その部分が俺に一切見えないのならば。

(ちなみに当然、「悪い部分」、まあ、枕営業とかAV出演発覚とか(・・・)にはかなり萎えてしまう。もうそれが見えてしまうと夢から醒めずにはいられない。そのライブでしか使わないようなペンライトが結構な値段することに経済(「現実」)を感じて一瞬モヤっとする経験は声優オタクならあるのではと思うが、まあそれは元々金を払う覚悟の下な為に"醒める"まで行くことはあまりない。その程度ならば・・・。)

(3次元声優アイドルを追っていた時、他のオタクの性欲を見てしまうことは当然あった。しかし、例えばライブ中に他のオタクが可愛いと大声で叫んでも、例えば誰かが「声優の〇〇とセックスしたい」という性欲の最大値のような呟きをしていたとしても、恐らくそれほど不快感は感じない。「現実味」が無いからかもしれない。やはり、性欲が金という「現実」の象徴と共に突き付けられるスパチャの部分に俺は、生々しさを感じて耐えられないのだと思う。)

 キャラ、"character"を引くと「性格・特徴・人格」などが出てくる。当たり前だが、キャラを演じるということはガワを被って語尾を変えれば良い訳ではない。強い言い方になってしまうが、Vが変な語尾や口調でゲームやら料理やらしている動画は、中学や高校にいた、キャラ作りを履き違えた痛いバカ女のようで本当に見てられない。俺にとってはこういう様は「現実の悪い部分」そのものである。また自称"サバサバ系"を隠そうともしない女Vの切り抜きを見てしまった時は最悪の気分になり非常に後悔した。そしてこういう文化が多くの2次元オタクに受け入れられているというのが心の底から理解できない。

 まあここら辺の認識、俺は結局Vを"ナメている"ところもあるだろう。オタクの大衆文化・コンテンツのような面でいながら、大半は素人のお遊びの延長かポルノライブチャットの言い換えに思えてしまう。俺がたまたま合わなすぎる配信者ばかり見てしまっただけで、きっともうちょっと意識が高い(夢を壊さない)・別の向き合い方をしている配信者もいるとは思う。が、おそらく俺がファン側に「現実」を感じてしまうだろう、上手くいく未来は今のところ見えない。現実逃避させてくれないコンテンツのままにもっとオタクの市民権を得ていくならば、それは息苦しいことこの上ない。

・滑稽な自己顕示

(白の無力化系エンチャントにありそうな名前)

 俺は女Vだけでなく、男Vにはかなり強い不快感がある。といっても名前と顔が一致するのは1人か2人だし、声は聞いたことも無い。どんな動画や放送があるのかもほとんど知らない。

 Vtuberは男女問わず広く顔を出して活動している訳だから、"格好をつけている"と言っていいだろう(少なくとも広義では)。男声優やアイドルの活動も顔を出して行っており、"格好をつけている"が、当然それは自身を売る・広める為にそうしているのであり、何の違和感も挟む余地が無い。男Vは、わざわざ違う"カッコいい誰か"を被って、"格好をつけている"。俺はこれが滑稽極まって仕方がない。

 先述の通り男Vに関してはほとんど何も知らない。どういうマーケティングでその美形男のガワを被っているのか、ファンの男女比率も大まかにすら知らない。しかし、オタクに媚びたガワを被ってそれを顕示して"格好をつけている"、そしてそれを見ている・受け入れられている様は正気の沙汰とは思えない。あまりに見るに堪えない。

(ここら辺の議論は、女Vに対してそのまま当てはめることもできる。オタクの男女比率・信者になりやすさなどでガワを被る必然性などに違いを見出すことはできるが、女Vも"格好をつけている"ことに変わりはない。女Vに滑稽さによる不快感はあまり感じないが、これは単に俺が、男へと女へとで感情の抱き方が自明に違うからということにすぎない。ウケそうだからと可愛い弟キャラのように振舞う男が現実にいたら気色が悪いと俺は思う。可愛い子ぶる女がいてもまあそんな感じなんだなと大した不快感はない。俺が女だったら印象が逆だった可能性が高いような気がする、とそれだけの話。)

・俺が言いたいこと

 俺はV文化の流行を理解できない。汚い「現実」の部分があまりにも明らかで、また場合によっては滑稽だとすら思う。これほどまでに理解できない文化が、俺の理解できると思っていた2次元オタクに浸透しているのが不気味に感じる。

 そして俺は自分が"外れる"のが怖い。しかし「V文化を理解することができる」というのがある文化での主流になってしまったら、その中で異常者は俺である。傾倒できる文化がひどく狭い俺が、その中でも異常者になってしまったら、俺の居場所は無くなってしまうのではないかと思ってしまう。

・俺がもっと言いたいこと

 つまり、設定を軽く知ってるくらいのVの二次創作でシコるのが一番気持ちいい。

・余談

 この文章は一度書き直していて、まあ内容もかなり変えたのだが、書き直す前の冒頭の段では

  • 「最初、これは俺の女性不信から来るものだと思ってた("俺は自分が女性不信だと思いたくはないが、この不快感はそれを示していそうで不安だった"の方が順序としては一応正しい)。が、俺は女Vでなく男Vへも、それもほぼ100%不快の感情が湧くので、そうとも限らない。一体何からこの気持ちが沸き上がるのか。」

としていた。書き直した後の文章を自分で眺めると、男Vへの不快感と女Vへのそれは全く要素が違う。つまり、俺の内側に異性への暗い感情があることの否定は今回できなかったということになり、疑念がまた強まる。結婚願望はあるのだが、このままではかなりマズい・・・。