日記

日記

最近よく「なんでみんな、どうして働けてるんだ」みたいなことをよく思って、同級生とか姉に聞いてみると大体「生きる為に仕方なくだよ」くらいが返ってくるけど、どうにもしっくり来なかった。まあ、俺の労働への適正云々を除いても、みんななんだかんだ人生やってくのに希望があるんかな、多分。

すっかり、本当にすっかりネガティブになってしまった。大学入学1年くらいまでは全能感か少なくとも未来は希望だらけだったんだけど。言ってもしょうがないけど。

何に対しても上手くいく未来が見えない。俺がちゃんと働ける訳がない、どうせ長くは続かないだろうものに腰を上げるのは難しい。

というより、今そもそも生き甲斐が無い。よって、無理して辛い思いしながら働く理由が無い、ちょっと金キツくなったらバイトする以上に金を稼ぐ理由が無い。心を燃やせるような趣味や目標が無くなってしまった。一番プレイ時間を溶かしてるものはソシャゲ数個になってしまうけど、明日それらが急に消えてもちょっと寂しいな、くらいな気がする。こんなんならチーターとカードデザインに文句言いつつ遊戯やってた方が健康的だったかなとたまに思うけどまあ、それはそれで何かしらにイライラしてばっかだっただろうとも思うし、多分もうよっぽど再熱することは無い。

俺の生活のルーティーンで他に趣味らしきものといえば、コーヒーを淹れたりたまに本を読んだり散歩したりくらい。もうちょっとなんか欲しい。コーヒーも正直飲めりゃ苦味酸味くらいの違いしか分からんし、散歩って夏と雨の日は厳しい。最近涼しくなってきて本当に嬉しい。

多分やっぱ受動的なものじゃなくて能動的なものの方が生き甲斐にしやすいのかな。資格の勉強も久しぶりに俺から取り組んだものだったから少し生を感じた。とはいえちょっと難しくなってきた辺りで、このストレスに耐え資格を取った先に待っているのが結局労働なのかと思うとくだらなくて冷めてしまった。そういえば俺が就活全くできないのも、辛くて仕方のないものの為に労力使うのがやってられんみたいな単純な理由だったのかもしれない、と最近初めて気付いた。

話が逸れた。週やシーズンで更新されるソシャゲのミッション・イベントをこなすのが生き甲斐になるはずはない。だけどその攻略法を最速で動画化して、その評判が良かったら生き甲斐になる気がする。カードゲームに再熱するのが難しそうという理由に、結局1プレイヤーの枠を超えられなさそうというのがもしかしたらあるかもしれない。遊戯だとまともな公式大会が一つも無いし、例えば非公認CSで2連優勝でもしたら嬉しくてブログくらいは書くかもしれない。が、俺がその日のデッキで何を考えてどうサイチェンするかみたいなのを書いても、明日新規が発表されてそこら辺の価値が無くなる可能性もあるんだよな、みたいなことを考える。(その環境への理解全てが無価値になることは無いだろうけど、結局受動的の域をあんま抜けないよねみたいな意味。)

別の、能動的な趣味見つけられたらいいな。散歩はどこに行こうか俺が選ぶ分、その程度の思考の余地だけでも幾分か生を感じる。カードのコレクションも楽しかったけど、目ぼしいところは大体集まってしまって行き詰ってしまった。また最近は相場がどうのこうのの話が一層増えてきて、俺のコレクションが相場や"投資先・株"みたいな、俺の本意でない眼鏡を通して見られるのが気にくわない、と最近思う。「高くても欲しいから買う」のは楽しいけど「欲しいだろうと高くされたものを買う」「欲しくて買ったものに値段の価値観を通される」のは全く面白くない。ギリギリ集め終えられたから良かったけど、「今は株として注目されてるからスタダホロの値段が高くなっています」と言われたら集める気は失くすだろう。俺の「好きなカード集めました」には「そのカード魅力的ですよね」「私はこういうカードが好きなんですよ」と繋がってほしい。「最近それ値段上がってますよね」とか言われたら冷めてしまう、そう言われることを想像するだけでも冷めてしまう。(ここら辺もうちょっと正確に言語化できそうな気がするけど、気が向いたら。)

Twitter見てると絵師って無限にいるように感じるけど、確かにそこら辺の創作・発信行為って生き甲斐になるんだろうね。俺もこういうブログ書くのは割と楽しいし、書くのが楽しいなら小説とか考えるのどうだろうとは思うけど、どうかな。「生き甲斐が欲しいから小説書こうとしてみる」ってあんま面白いもん作れなさそうだな、と、でもやらないよりはマシかと軽く内容考えたりはしてるけど、果たしてこれが生き甲斐になればいいけども。

自分で店持ちたいなと思ってた時期があって、この1年でバイトやらで金貯めれたらそういう道もあるかと思ってたけど、俺はめちゃめちゃ切羽詰まった時以外に働けない、ちょっと金あったら働く気失くしてしまうんだと再認識して無理そうだなと思ってしまった。生き甲斐云々除いても本当に労働に向いてないんだなと思う。でも就活よりは考えるの楽しかったし、きっと俺は就職に受動的な印象があって、そこがどうも嫌なのかな。

俺がそういう状態だからたまたま目に付くだけなのか、周りでも同年代くらいの人が「人生が無為に過ぎていって」「熱意が冷めていって」みたいに言ってるのをよく見る気がする。歳とってくと体感時間が早いだの結婚して子どもでも作らないともうやることがないみたいなのってマジなんだろな~・・・と薄々実感しかけている。結婚ももうほとんど諦めてしまったけど。

焦燥感を強く感じる。金銭面はそうでもない、なくもないけど最悪何とかなるだろう的なのがぼんやりとある、けど、あっという間に人生が過ぎていってしまいそうだという焦り。

(↓どっかに挟もうとしたけどタイミング失くしてしまった)

本当にカードの株化が嫌、そして周りで金の話が増えてきたのが本当に嫌。「久しぶりに会った高校の同級生が仕事と金の話ばかりだった」みたいな経験、俺はこうやって味わうのかという気持ち。俺は今日も明日も、今アツい二次元萌え女と遊戯の上手ぶりコンボ・レアリティの話ばかりしていたい。けど、多くの人は違うらしい。

前澤のアレも然り。別に金が欲しいからリツイートするのを責めはしないけど、お前のその行為はみすぼらしく面白くなく目に入れたくない。ってまあ、遊戯公式Twitterのキャンペーンで数十万になりそうなカードが貰えそうなら俺もハッシュタグをつけてツイートする可能性はあるから、そこは「0.0数%程の懸賞にわざわざ応募してるのは乞食っぽくて、数%で数十万ならリスクリターンとして明らかに応募するのが吉だろう」的な、確実に俺の尺度であり、カッコ悪いんだけど。

俺は少なくともまだしばらく社会的な人間じゃないだろうけど、社会的になることで口から金の話ばかり出るようになるなら、ずっと子供でいたいと思う。

おわり(?)

またそのうちなんか書く