2020

1~2月に単位をなんとか取り終えて、4月に引っ越し(京都市京都市だけど)を済ませて、自分で生きていけるように一瞬だけ心掛けたような、でも結局全然何もできなかった。

辛い1年だった、と思ったがここ5年くらいはずっと何か辛かったし、人生なんてこんなもんなのかもしれない。そう考えるとそんなに悪くもなかったと言ってもいいような。

俺の幸せは俺だけが感じる物だから、その関数も俺にしか定義できない。他人と比べずに生きることは俺には不可能だけど、欠点ばっかり気にする性格はどうにかできるかもしれない。

大学3年次に目いっぱい挫折をして、社会性も常識も得ることができず、自信なんて今は1個も無いが、どうにか、どうにか自己肯定していきたい。

自分自身への感情の湧き方と、他者へのそれはそう違うものじゃないなと最近たまに考える。微塵も聖人じゃない俺は、例えば誰かが臭い言葉で自分語りをしていたら「イタいな」「こいつ自分に酔ってるな」とか思うことが無いでもない(そんなに高い確率ではないけど)。同時に俺は自分の文章を見返すことをあまりしたくない。少なくとも先月以前くらいの文章を、見返すと自分で自分を「イタい」とか思ってしまいそうで、というか実際たまに見返すとまあまあ思うが、中々見る気が起きない。

でもできればそんなことは思いたくない。自己否定や自縛は苦しい。俺のブログを好きだよと言ってくれた時も、自分で自分の文章が臭いと思っているせいで中々受け入れられないことが多い。他者への不寛容が自身への不寛容に関連しているなら、もう少し他者の行動に寛容になっていく必要があるかもしれない。

(まあ、「人の振り見て我が振り直せ」もやりすぎたら微妙だよなみたいな話だけど、俺は良い塩梅を見つけるのが本当に苦手だ。同時に俺は自己肯定と驕りの良い程度も全く掴めず、下手な自己肯定は危険と思ってる節がある。でもまあ、俺はたまにちょっと驕ってみるくらいで、いい着地点を探して行ったり来たりするくらいでちょうどいいのかもしれない。)

(かと言って俺は聖人になりたい訳でもないし、「恥知らず」だとかと人を笑うような自分の性格自体はそう嫌いじゃない。まあここら辺も含めて、いい塩梅を頑張って見つけましょうね、みたいな・・・。)

俺がなんか考えた、例えば上のような指針も、大勢はそんなこと考えなくてもあっさりできてるんじゃないかと不安になる。まあ実際はどっちにしたって何かしら苦しんでいるか、頭より体が先に動いてるとかなんだろうけど・・・。

昔はバカにしていたぐらいだが、「古文漢文・二次関数なんてやる意味が分からない」のような気持ちを今は痛いほど分かる。考えて考えて、行動に移してもいいなと判断できて俺はようやく行動に移せる。大体その間に自己嫌悪とかに陥ってしまうし、そうしてる内に機を逃してしまうことも多い(まあ、新卒資格は多分捨てることになるしね~・・・)。

だけどまあ、欠点ばっかり気にしないで、「まずはやってみる」のが良いことばかりでも無いし、考えて結論を出していければその次の機には乗じれるかもしれないし。羨んだって行動先行派になれる訳でも無いし、考え尽くせる部分はいつか役に立てる・・・かなあ?

何言ってるか段々分かんなくなったけど、この辺で。

2021は

・自分をもう少し肯定できるようになる

・遊戯以外に何かしら生き甲斐を見つける

を目標にしていきたいな。

おわりです