このブログサイト、気付けば2年近く使ってるけど別に使いやすくもなんともないんだが、移転するとしたら一応記事移したいがそれはメンドイなとか考えるとまあ良いかって毎回なる

・最近

一日、昼起きてゲームして、夜に飯買いに出るか夕方からちょっと散歩するかでまた帰ってシャワー浴びて、通話かなんかしながらまたゲームする日々。いつまで続けられるんだろうか。いつまでも続けていたい。誰かに課された義務や責務に追われた日々なんて送りたくない。俺にとってはこの日々だけが本物で、締め付けられた労働の中で何かを成し遂げることに価値なんてあるんだろうかと思う。

段々、覚悟が決まってきた気がする。低い方に流れてしまったと言われればそうなのかもしれないが、金に困ったらちょっとバイトして、残りの日は一日家でだらっとするか散歩をするとか、そんな生活が一番幸せだろう。週か年か人生か、その多くをやりたくもない労働に費やすのは狂っている。だがまあ、きっと狂っているのは俺なんだろう。もうどっちでもいいが。

俺は常識に囚われている。おそらく既卒ニートになるだろうことも、例えば自動車免許を持っていないことも、諸々の常識が欠如していることも、きっと人間性の欠如だとして抱え続けるんだろう。頭の中ではどれも「それならそれでもいい」と、何回も何回も考えていても。いつかは折り合いをつけて、納得する日が来るんだろうか。それとも一生悩むんだろうか。

親にほぼ完全に頼り切っているこの生活も、長くても10年は続けられないだろう。今は絶対に死にたくないが、3年後くらいには自死を選んでいるかもしれない。何なら今でも死にたくない理由をわざわざ考え直すこともある(そんなことを考えてしまうのは、俺が自己分析や思索が好きなことと、それをする時間が多量にあるからかもしれないが)。

考えることが好きで良かった。最近は、考えることを止められないことは俺の最大の短所であることだとも感じているけど、だけど考えることは本当に止められないんだ。

いつか、「自分の中の人を知りたい」みたいな表現を見た。俺の中ではこれは凄まじくピンと来る表現で、確かに、俺と一番付き合っていく自分というものが、どういう原理で動き何にどう感情が湧く、何者であるのか、俺は知りたい。

ずっと、何かについて考え続けていたい。例えば善悪について考えるとか、それはもはや恐らく陳腐かとっくに既出の考察であり、時間を費やしたとしてきっと人生が上手く行きやすくなるものではないとしても、そんな時間だけが俺を俺たらしめてくれると思う。だからまだ、しばらくは死ぬことを選ばないだろうと思う。生きることは俺には辛いことばかりだが、思索ができなくなる道を選ぶことはそれより辛い。

「商法主義が許されるのは"姿の見えない"企業が精々で、個人レベルで自分の発言を価値として(noteとして)売り出したり、"企業案件"だのを宣ったりするの、俺は息苦しくて仕方ないよ。」みたいなことを書こうとしたのに、死ぬ死なないみたいな話になっちゃった。そのことも近い内書く気がする。まあ、きっとまだしばらく俺は、自分のことを考え、恐らく多くを自己嫌悪が占めると思うが、それでももう少し生きていく。

急に酒を飲んで酔っているからだと思うけど、多分見返すとクッサい文章になってしまっている。きっと半日したら消してしまうか、それかこういう足掻きも俺の進歩の一つであると、見返す度鼻をつまむことになろうとそれでも残しておくかもしれない。

寝る