2020

1~2月に単位をなんとか取り終えて、4月に引っ越し(京都市京都市だけど)を済ませて、自分で生きていけるように一瞬だけ心掛けたような、でも結局全然何もできなかった。

辛い1年だった、と思ったがここ5年くらいはずっと何か辛かったし、人生なんてこんなもんなのかもしれない。そう考えるとそんなに悪くもなかったと言ってもいいような。

俺の幸せは俺だけが感じる物だから、その関数も俺にしか定義できない。他人と比べずに生きることは俺には不可能だけど、欠点ばっかり気にする性格はどうにかできるかもしれない。

大学3年次に目いっぱい挫折をして、社会性も常識も得ることができず、自信なんて今は1個も無いが、どうにか、どうにか自己肯定していきたい。

自分自身への感情の湧き方と、他者へのそれはそう違うものじゃないなと最近たまに考える。微塵も聖人じゃない俺は、例えば誰かが臭い言葉で自分語りをしていたら「イタいな」「こいつ自分に酔ってるな」とか思うことが無いでもない(そんなに高い確率ではないけど)。同時に俺は自分の文章を見返すことをあまりしたくない。少なくとも先月以前くらいの文章を、見返すと自分で自分を「イタい」とか思ってしまいそうで、というか実際たまに見返すとまあまあ思うが、中々見る気が起きない。

でもできればそんなことは思いたくない。自己否定や自縛は苦しい。俺のブログを好きだよと言ってくれた時も、自分で自分の文章が臭いと思っているせいで中々受け入れられないことが多い。他者への不寛容が自身への不寛容に関連しているなら、もう少し他者の行動に寛容になっていく必要があるかもしれない。

(まあ、「人の振り見て我が振り直せ」もやりすぎたら微妙だよなみたいな話だけど、俺は良い塩梅を見つけるのが本当に苦手だ。同時に俺は自己肯定と驕りの良い程度も全く掴めず、下手な自己肯定は危険と思ってる節がある。でもまあ、俺はたまにちょっと驕ってみるくらいで、いい着地点を探して行ったり来たりするくらいでちょうどいいのかもしれない。)

(かと言って俺は聖人になりたい訳でもないし、「恥知らず」だとかと人を笑うような自分の性格自体はそう嫌いじゃない。まあここら辺も含めて、いい塩梅を頑張って見つけましょうね、みたいな・・・。)

俺がなんか考えた、例えば上のような指針も、大勢はそんなこと考えなくてもあっさりできてるんじゃないかと不安になる。まあ実際はどっちにしたって何かしら苦しんでいるか、頭より体が先に動いてるとかなんだろうけど・・・。

昔はバカにしていたぐらいだが、「古文漢文・二次関数なんてやる意味が分からない」のような気持ちを今は痛いほど分かる。考えて考えて、行動に移してもいいなと判断できて俺はようやく行動に移せる。大体その間に自己嫌悪とかに陥ってしまうし、そうしてる内に機を逃してしまうことも多い(まあ、新卒資格は多分捨てることになるしね~・・・)。

だけどまあ、欠点ばっかり気にしないで、「まずはやってみる」のが良いことばかりでも無いし、考えて結論を出していければその次の機には乗じれるかもしれないし。羨んだって行動先行派になれる訳でも無いし、考え尽くせる部分はいつか役に立てる・・・かなあ?

何言ってるか段々分かんなくなったけど、この辺で。

2021は

・自分をもう少し肯定できるようになる

・遊戯以外に何かしら生き甲斐を見つける

を目標にしていきたいな。

おわりです

このブログサイト、気付けば2年近く使ってるけど別に使いやすくもなんともないんだが、移転するとしたら一応記事移したいがそれはメンドイなとか考えるとまあ良いかって毎回なる

・最近

一日、昼起きてゲームして、夜に飯買いに出るか夕方からちょっと散歩するかでまた帰ってシャワー浴びて、通話かなんかしながらまたゲームする日々。いつまで続けられるんだろうか。いつまでも続けていたい。誰かに課された義務や責務に追われた日々なんて送りたくない。俺にとってはこの日々だけが本物で、締め付けられた労働の中で何かを成し遂げることに価値なんてあるんだろうかと思う。

段々、覚悟が決まってきた気がする。低い方に流れてしまったと言われればそうなのかもしれないが、金に困ったらちょっとバイトして、残りの日は一日家でだらっとするか散歩をするとか、そんな生活が一番幸せだろう。週か年か人生か、その多くをやりたくもない労働に費やすのは狂っている。だがまあ、きっと狂っているのは俺なんだろう。もうどっちでもいいが。

俺は常識に囚われている。おそらく既卒ニートになるだろうことも、例えば自動車免許を持っていないことも、諸々の常識が欠如していることも、きっと人間性の欠如だとして抱え続けるんだろう。頭の中ではどれも「それならそれでもいい」と、何回も何回も考えていても。いつかは折り合いをつけて、納得する日が来るんだろうか。それとも一生悩むんだろうか。

親にほぼ完全に頼り切っているこの生活も、長くても10年は続けられないだろう。今は絶対に死にたくないが、3年後くらいには自死を選んでいるかもしれない。何なら今でも死にたくない理由をわざわざ考え直すこともある(そんなことを考えてしまうのは、俺が自己分析や思索が好きなことと、それをする時間が多量にあるからかもしれないが)。

考えることが好きで良かった。最近は、考えることを止められないことは俺の最大の短所であることだとも感じているけど、だけど考えることは本当に止められないんだ。

いつか、「自分の中の人を知りたい」みたいな表現を見た。俺の中ではこれは凄まじくピンと来る表現で、確かに、俺と一番付き合っていく自分というものが、どういう原理で動き何にどう感情が湧く、何者であるのか、俺は知りたい。

ずっと、何かについて考え続けていたい。例えば善悪について考えるとか、それはもはや恐らく陳腐かとっくに既出の考察であり、時間を費やしたとしてきっと人生が上手く行きやすくなるものではないとしても、そんな時間だけが俺を俺たらしめてくれると思う。だからまだ、しばらくは死ぬことを選ばないだろうと思う。生きることは俺には辛いことばかりだが、思索ができなくなる道を選ぶことはそれより辛い。

「商法主義が許されるのは"姿の見えない"企業が精々で、個人レベルで自分の発言を価値として(noteとして)売り出したり、"企業案件"だのを宣ったりするの、俺は息苦しくて仕方ないよ。」みたいなことを書こうとしたのに、死ぬ死なないみたいな話になっちゃった。そのことも近い内書く気がする。まあ、きっとまだしばらく俺は、自分のことを考え、恐らく多くを自己嫌悪が占めると思うが、それでももう少し生きていく。

急に酒を飲んで酔っているからだと思うけど、多分見返すとクッサい文章になってしまっている。きっと半日したら消してしまうか、それかこういう足掻きも俺の進歩の一つであると、見返す度鼻をつまむことになろうとそれでも残しておくかもしれない。

寝る

日記(カード)

・イベント

 ちょっと前の話題で思い出したけど、俺も昔「CS勢とカジュアル勢が一緒に楽しめるイベントってできないかな」って思ってた気がする。でもまあ、別に両者はその交わりを望んでないんだよな。CS勢は態度がシャカパチが~とかいうけど別にカジュアル勢にわざわざCS来てほしいかったらそうでもないでしょ。(過疎すぎて出場人数がよっぽど埋まらなくてとかじゃない限り)

(こっから長々と「シャカパチってよく考えたらキモくね?」みたいな話してたんだけど纏まらなくなって消しちゃった。シャカパチするYPがキモいとは今更思わないけど「シャカパチ嫌とか草、ちゃんと理由あっからw」みたいなのはマジか?と最近思った話だった。)

・確率

「ある枚数引いた時に特定のカードがn枚(n枚以上、以下)入っている確率」はちょっと調べれば計算サイトがいくつか出てきてくれるけど、「相手があるカードを最初に出してきた時に、別のあるカードも同時に引いている確率」ってあんまパっと出てこないな、と最近思った。

 と思って初めて自分でそれっぽいの組んだ。

 暇つぶしに組んだのは組んだけど、確率が出たところで例えば「止まる確率が80%だからヴェーラーを打った方が良い・良くない」とかいう判断は必ずしも正しい訳ではなく、「ヴェーラーを打って止まった時・止まらなかった時の評価値がx1,x2で打たない時yで、0.8x1+0.2x2とyを比較して~」みたいな話に持ち込まなきゃいけない(スッゴイざっくりとした表現だけど)。評価値は勝率と言っても悪くないと思うけど、そういうのをそんな正確に見積もれる訳はないしカードゲームにおいての確率なんて信用できないよね~。

 マジの雑談でした。

スクリプトみたいなの組んでみたいと思って↑作ったけど、そんなことしないでも既存のサイトで代用できるわと書いてて気付いた。

これで17.289÷33.755で↑の確率簡単に出るじゃんね。徒労だった。

引用しました→複数のカードのドロー・デッキ存在確率さん)

・コンテンツ

 リンクスの運営はOCGに比べて反省を生かしてて~とか俺も言っていたのを、思い出してたまに溜め息が出る。ZEXAL来たかと思ったけどモブが無駄に強かったり、ゲートの「ワールドに沸いてますがいいですか?」の無意味な表示がサービス開始からあるの、運営側がまともにプレイしてないんだろうなあというのが伝わってくるし。セレボはクソだし再録枠は言うまでもないし。

 でもみんな遊戯王は好きだからやるんだろなあ、俺も死ぬほど文句言いながらガンマンのストラクだけ課金したし。チーム無かったらとっくにアンインストールしてたろうな、課金で後から追い付く気もないから一旦やめたら戻れないだろうなというのもあるけど。

「文句言いながらなんだかんだ遊び続ける」のは愚かにも見える(少なくとも俺は見えていた)けど、そういう姿勢はゲームとの(もしくはコンテンツとの)付き合い方の一つの正解なんだろうなと最近ようやく感じる。「コンテンツ提供側に全幅の信頼を寄せ全てを肯定する」も正解だと思うけど、勝敗システムがゲーム会社に握られた状態では難しい。文句も言いたくなるし、俺は絶対無理。アニメとか漫画ならともかくね。

 遊戯王の未来を憂いていたような時期も長くあったけど、客の一人の分際でコンテンツの未来を考えはじめたあたりで、もうそのコンテンツからは引き時なんだろうなと思う。純粋に楽しむことは難しくなるし、公式側の還元を(無意識的にでも)求め始めてしまうと末期。まあ、俺は距離を置けて良かったかな・・・。

 歪むほどにコンテンツなどのことを考えてしまうの、一極集中型特有の症状だろうな。もうちょっと他のことに少しずつでも触れておけばよかったな~・・・とたまに思うけど、集中型の性格は嫌いではない。またいつか他に、心を燃やして集中できる対象が見つかればいいなあ。

おわり

日記

日記

最近よく「なんでみんな、どうして働けてるんだ」みたいなことをよく思って、同級生とか姉に聞いてみると大体「生きる為に仕方なくだよ」くらいが返ってくるけど、どうにもしっくり来なかった。まあ、俺の労働への適正云々を除いても、みんななんだかんだ人生やってくのに希望があるんかな、多分。

すっかり、本当にすっかりネガティブになってしまった。大学入学1年くらいまでは全能感か少なくとも未来は希望だらけだったんだけど。言ってもしょうがないけど。

何に対しても上手くいく未来が見えない。俺がちゃんと働ける訳がない、どうせ長くは続かないだろうものに腰を上げるのは難しい。

というより、今そもそも生き甲斐が無い。よって、無理して辛い思いしながら働く理由が無い、ちょっと金キツくなったらバイトする以上に金を稼ぐ理由が無い。心を燃やせるような趣味や目標が無くなってしまった。一番プレイ時間を溶かしてるものはソシャゲ数個になってしまうけど、明日それらが急に消えてもちょっと寂しいな、くらいな気がする。こんなんならチーターとカードデザインに文句言いつつ遊戯やってた方が健康的だったかなとたまに思うけどまあ、それはそれで何かしらにイライラしてばっかだっただろうとも思うし、多分もうよっぽど再熱することは無い。

俺の生活のルーティーンで他に趣味らしきものといえば、コーヒーを淹れたりたまに本を読んだり散歩したりくらい。もうちょっとなんか欲しい。コーヒーも正直飲めりゃ苦味酸味くらいの違いしか分からんし、散歩って夏と雨の日は厳しい。最近涼しくなってきて本当に嬉しい。

多分やっぱ受動的なものじゃなくて能動的なものの方が生き甲斐にしやすいのかな。資格の勉強も久しぶりに俺から取り組んだものだったから少し生を感じた。とはいえちょっと難しくなってきた辺りで、このストレスに耐え資格を取った先に待っているのが結局労働なのかと思うとくだらなくて冷めてしまった。そういえば俺が就活全くできないのも、辛くて仕方のないものの為に労力使うのがやってられんみたいな単純な理由だったのかもしれない、と最近初めて気付いた。

話が逸れた。週やシーズンで更新されるソシャゲのミッション・イベントをこなすのが生き甲斐になるはずはない。だけどその攻略法を最速で動画化して、その評判が良かったら生き甲斐になる気がする。カードゲームに再熱するのが難しそうという理由に、結局1プレイヤーの枠を超えられなさそうというのがもしかしたらあるかもしれない。遊戯だとまともな公式大会が一つも無いし、例えば非公認CSで2連優勝でもしたら嬉しくてブログくらいは書くかもしれない。が、俺がその日のデッキで何を考えてどうサイチェンするかみたいなのを書いても、明日新規が発表されてそこら辺の価値が無くなる可能性もあるんだよな、みたいなことを考える。(その環境への理解全てが無価値になることは無いだろうけど、結局受動的の域をあんま抜けないよねみたいな意味。)

別の、能動的な趣味見つけられたらいいな。散歩はどこに行こうか俺が選ぶ分、その程度の思考の余地だけでも幾分か生を感じる。カードのコレクションも楽しかったけど、目ぼしいところは大体集まってしまって行き詰ってしまった。また最近は相場がどうのこうのの話が一層増えてきて、俺のコレクションが相場や"投資先・株"みたいな、俺の本意でない眼鏡を通して見られるのが気にくわない、と最近思う。「高くても欲しいから買う」のは楽しいけど「欲しいだろうと高くされたものを買う」「欲しくて買ったものに値段の価値観を通される」のは全く面白くない。ギリギリ集め終えられたから良かったけど、「今は株として注目されてるからスタダホロの値段が高くなっています」と言われたら集める気は失くすだろう。俺の「好きなカード集めました」には「そのカード魅力的ですよね」「私はこういうカードが好きなんですよ」と繋がってほしい。「最近それ値段上がってますよね」とか言われたら冷めてしまう、そう言われることを想像するだけでも冷めてしまう。(ここら辺もうちょっと正確に言語化できそうな気がするけど、気が向いたら。)

Twitter見てると絵師って無限にいるように感じるけど、確かにそこら辺の創作・発信行為って生き甲斐になるんだろうね。俺もこういうブログ書くのは割と楽しいし、書くのが楽しいなら小説とか考えるのどうだろうとは思うけど、どうかな。「生き甲斐が欲しいから小説書こうとしてみる」ってあんま面白いもん作れなさそうだな、と、でもやらないよりはマシかと軽く内容考えたりはしてるけど、果たしてこれが生き甲斐になればいいけども。

自分で店持ちたいなと思ってた時期があって、この1年でバイトやらで金貯めれたらそういう道もあるかと思ってたけど、俺はめちゃめちゃ切羽詰まった時以外に働けない、ちょっと金あったら働く気失くしてしまうんだと再認識して無理そうだなと思ってしまった。生き甲斐云々除いても本当に労働に向いてないんだなと思う。でも就活よりは考えるの楽しかったし、きっと俺は就職に受動的な印象があって、そこがどうも嫌なのかな。

俺がそういう状態だからたまたま目に付くだけなのか、周りでも同年代くらいの人が「人生が無為に過ぎていって」「熱意が冷めていって」みたいに言ってるのをよく見る気がする。歳とってくと体感時間が早いだの結婚して子どもでも作らないともうやることがないみたいなのってマジなんだろな~・・・と薄々実感しかけている。結婚ももうほとんど諦めてしまったけど。

焦燥感を強く感じる。金銭面はそうでもない、なくもないけど最悪何とかなるだろう的なのがぼんやりとある、けど、あっという間に人生が過ぎていってしまいそうだという焦り。

(↓どっかに挟もうとしたけどタイミング失くしてしまった)

本当にカードの株化が嫌、そして周りで金の話が増えてきたのが本当に嫌。「久しぶりに会った高校の同級生が仕事と金の話ばかりだった」みたいな経験、俺はこうやって味わうのかという気持ち。俺は今日も明日も、今アツい二次元萌え女と遊戯の上手ぶりコンボ・レアリティの話ばかりしていたい。けど、多くの人は違うらしい。

前澤のアレも然り。別に金が欲しいからリツイートするのを責めはしないけど、お前のその行為はみすぼらしく面白くなく目に入れたくない。ってまあ、遊戯公式Twitterのキャンペーンで数十万になりそうなカードが貰えそうなら俺もハッシュタグをつけてツイートする可能性はあるから、そこは「0.0数%程の懸賞にわざわざ応募してるのは乞食っぽくて、数%で数十万ならリスクリターンとして明らかに応募するのが吉だろう」的な、確実に俺の尺度であり、カッコ悪いんだけど。

俺は少なくともまだしばらく社会的な人間じゃないだろうけど、社会的になることで口から金の話ばかり出るようになるなら、ずっと子供でいたいと思う。

おわり(?)

またそのうちなんか書く

・最近

 資格(アクチュアリー=年金数理士とか訳されるやつのやつ)の勉強してる。今のところほとんど数学、だけど暗記も多いせいで一筋縄にはいかないねえ。

 なんかこれAIとか発達したら消える職じゃね?と思って調べたらまあ説明力やら諸々でそうでもないらしく、資格保有者は大事にされるらしいというのを鵜呑みにしてとりあえずぼちぼちやっている。マジでぼちぼちだけど。しかしまあ、それで働き始めたら経済やら金融やらの時事問題に目を向ける必要があるらしく、当たり前かと思う半分今の時点でどういう話か全く興味も無い訳で、大丈夫なのかという思いが凄い。プレゼンとかさせられんなら緊張で死んでしまうのでは。

 ま、先のことをあんま悲観的に考えすぎてもアレなので、もうしばらくはやるつもり、多分。超久しぶりに数学のやりがいを感じていて、始めてしまえば勉強自体は苦じゃない。ソシャゲとネットサーフィン(←俺これ結構使うけど死語?)で夜になってるのがザラなのがマジでヤバいが。

 

・遊戯

 傍から見てる分にはマジで環境変わらんなーと思いつつ、新しいカテゴリなら使うの面白そうかとか思い軽~く見たり考えたりしてるけども、結局どうも、気持ち悪い一部の存在だけでやっぱりやる気にならん。DCGのとこ見てても思うけど、これまで成功体験無かったような奴らがたまたまゲームで成功しちゃってイキり始めるの本当に見ていられないっすね。所詮ゲームなのに。

(俺の人生もかなりゲームの濃度が濃いけど、結局"所詮ゲーム"と思う節がかなりある。)

 勉強やら何かしらやらの成功熱って大体長くは続かないというか、どこかで折れるか、成功していっても同程度以上のグループで高め合っていく段階で自分がそう特別じゃないって分かると思うんだよな。ゲームだとコツ掴んだらずっとまあまあは勝てるし、イキる奴らに混じっちゃうとずっとイキり続けちゃうんかな。

(成功って言ったけど普通は中高の部活程度でそこら辺身に付きそうじゃないですか?部活やったことないから分からんけど)

(不穏な何とかになってるようだけど俺が仲良くしてる人には当てはまらないです)

・労働

 俺の働けない理由って結局自己肯定感の少なさなのか。前の工場のやつは普通に朝キツいのと遠いのと単純作業がみたいな感じだったけど、他のバイトとかも何故かどうも・・・。この「何故か」の分析に長い時間がかかってるけど、まあ「失敗したくない」とか「試されるのが怖い」とか辺りのことなんだろうなあ多分。某ボランティア(ボカしとく)はできるあたり自信のないものに取り組むのが嫌なんだろうか。

おわり(?)

話がすごい散らばってしまった

V文化

ザ・お気持ち表明

「俺の好きなものが貶されるのが耐えられない」って人は見ない方がいいです

Vtuber文化

 俺は2次元アニメも好きだし、3次元声優に熱中していた時もあったし、ラブライブ!みたいないわゆる2.5次元みたいなのを好きな時期もあったから、Vtuber文化に適性があるのかと軽く触れた。が、この文化を好きな人が大勢いる中でわざわざTwitterでは言わないけども、本当に嫌な文化だなと思ってしまう。俺がこの不快感の由来が何なのか、俺の自己分析ばかりの日々で最近よく考えていた(やることがないとこういう思索ばかりになってしまう)。恐らく「現実の嫌な部分が目に入ってくる」「作られた顔での自己顕示に滑稽さを感じる」とかなのだろうと思う、それをもっと詳しく記す。ここからは俺がただ何を考えているかに尽きるもので、つまり俺が個人ブログでの発信に留めるべきものである。

・「現実の嫌な部分」を見てられない

 アニメやエロゲや美少女系ソシャゲやらの2次元美少女コンテンツは(もしくは2次元コンテンツ自体が)、「現実から抽出された良い部分」だけを見ることができるのが大きな利点としてある、と思う。少なくとも俺はこれを求めている。"ちょっとめんどくさい女の子"はいても、その子が例えば主人公に生理痛の辛さを訴えるようなことはしない。"おつむの弱い子"の日本語の使い方がいつもおかしかったとしても、会話に著しく支障をきたすような描写は(基本的には)ない。

 Vtuberは明確に3次元コンテンツだなと、俺は切り抜きを飛ばし飛ばしか精々数分見たくらいだけど、そう思う。"バーチャル"を被ってはいるが、そのキャラの設定を忠実に守っている人はごく少数だろう。というよりおそらくファンもそのVの"生"を見たいのであって、例えば女王のキャラであるVtuberが忠実に「今日は国を守るために仕事をしましたが、あまり上手くいきませんでした」と言うよりは「今日は国を守るための諸々の納期が迫ってて上司にめっちゃ怒られました」の方がまあウケはいいだろう。「女王」に上司はいないのにも関わらず。V同士でオフで会いましたみたいな話はその典型。もう"バーチャル"ではない、がそれを望むファンをかなり多く見る。"バーチャル"を通してはいるが、結局素人女のライブ配信とそう変わらないと俺の主観では思う。ゲームで奇声を上げる配信者とそれを喜ぶファンの構図はエロライブチャットと違いを感じない。(ちなみに、それを低劣だとか言うつもりはあんまり無い。2次元オタクがそれに萌えていることに悲しさはある。)

 俺はこういうコンテンツで"生"の部分、「現実の都合の悪い部分」が見えると萎えてしまう。これは"あちら側"の話だけでなく、"こちら側"である他のファンにも強く向く。もはや"生"であるVに向けるファンのコメントやらスパチャやらに、俺は性欲・媚びといった「現実の都合の悪い部分」を感じてしまう。2次元コンテンツでは「都合の悪い部分」は描かれない。3次元アイドルコンテンツでもそういう部分をできるだけ隠してくれるだろう。俺は高坂穂乃果ちゃんに本当は大学生の彼氏がいたとしても、好きな声優が別垢で政権を叩いていても気にすることはない。その部分が俺に一切見えないのならば。

(ちなみに当然、「悪い部分」、まあ、枕営業とかAV出演発覚とか(・・・)にはかなり萎えてしまう。もうそれが見えてしまうと夢から醒めずにはいられない。そのライブでしか使わないようなペンライトが結構な値段することに経済(「現実」)を感じて一瞬モヤっとする経験は声優オタクならあるのではと思うが、まあそれは元々金を払う覚悟の下な為に"醒める"まで行くことはあまりない。その程度ならば・・・。)

(3次元声優アイドルを追っていた時、他のオタクの性欲を見てしまうことは当然あった。しかし、例えばライブ中に他のオタクが可愛いと大声で叫んでも、例えば誰かが「声優の〇〇とセックスしたい」という性欲の最大値のような呟きをしていたとしても、恐らくそれほど不快感は感じない。「現実味」が無いからかもしれない。やはり、性欲が金という「現実」の象徴と共に突き付けられるスパチャの部分に俺は、生々しさを感じて耐えられないのだと思う。)

 キャラ、"character"を引くと「性格・特徴・人格」などが出てくる。当たり前だが、キャラを演じるということはガワを被って語尾を変えれば良い訳ではない。強い言い方になってしまうが、Vが変な語尾や口調でゲームやら料理やらしている動画は、中学や高校にいた、キャラ作りを履き違えた痛いバカ女のようで本当に見てられない。俺にとってはこういう様は「現実の悪い部分」そのものである。また自称"サバサバ系"を隠そうともしない女Vの切り抜きを見てしまった時は最悪の気分になり非常に後悔した。そしてこういう文化が多くの2次元オタクに受け入れられているというのが心の底から理解できない。

 まあここら辺の認識、俺は結局Vを"ナメている"ところもあるだろう。オタクの大衆文化・コンテンツのような面でいながら、大半は素人のお遊びの延長かポルノライブチャットの言い換えに思えてしまう。俺がたまたま合わなすぎる配信者ばかり見てしまっただけで、きっともうちょっと意識が高い(夢を壊さない)・別の向き合い方をしている配信者もいるとは思う。が、おそらく俺がファン側に「現実」を感じてしまうだろう、上手くいく未来は今のところ見えない。現実逃避させてくれないコンテンツのままにもっとオタクの市民権を得ていくならば、それは息苦しいことこの上ない。

・滑稽な自己顕示

(白の無力化系エンチャントにありそうな名前)

 俺は女Vだけでなく、男Vにはかなり強い不快感がある。といっても名前と顔が一致するのは1人か2人だし、声は聞いたことも無い。どんな動画や放送があるのかもほとんど知らない。

 Vtuberは男女問わず広く顔を出して活動している訳だから、"格好をつけている"と言っていいだろう(少なくとも広義では)。男声優やアイドルの活動も顔を出して行っており、"格好をつけている"が、当然それは自身を売る・広める為にそうしているのであり、何の違和感も挟む余地が無い。男Vは、わざわざ違う"カッコいい誰か"を被って、"格好をつけている"。俺はこれが滑稽極まって仕方がない。

 先述の通り男Vに関してはほとんど何も知らない。どういうマーケティングでその美形男のガワを被っているのか、ファンの男女比率も大まかにすら知らない。しかし、オタクに媚びたガワを被ってそれを顕示して"格好をつけている"、そしてそれを見ている・受け入れられている様は正気の沙汰とは思えない。あまりに見るに堪えない。

(ここら辺の議論は、女Vに対してそのまま当てはめることもできる。オタクの男女比率・信者になりやすさなどでガワを被る必然性などに違いを見出すことはできるが、女Vも"格好をつけている"ことに変わりはない。女Vに滑稽さによる不快感はあまり感じないが、これは単に俺が、男へと女へとで感情の抱き方が自明に違うからということにすぎない。ウケそうだからと可愛い弟キャラのように振舞う男が現実にいたら気色が悪いと俺は思う。可愛い子ぶる女がいてもまあそんな感じなんだなと大した不快感はない。俺が女だったら印象が逆だった可能性が高いような気がする、とそれだけの話。)

・俺が言いたいこと

 俺はV文化の流行を理解できない。汚い「現実」の部分があまりにも明らかで、また場合によっては滑稽だとすら思う。これほどまでに理解できない文化が、俺の理解できると思っていた2次元オタクに浸透しているのが不気味に感じる。

 そして俺は自分が"外れる"のが怖い。しかし「V文化を理解することができる」というのがある文化での主流になってしまったら、その中で異常者は俺である。傾倒できる文化がひどく狭い俺が、その中でも異常者になってしまったら、俺の居場所は無くなってしまうのではないかと思ってしまう。

・俺がもっと言いたいこと

 つまり、設定を軽く知ってるくらいのVの二次創作でシコるのが一番気持ちいい。

・余談

 この文章は一度書き直していて、まあ内容もかなり変えたのだが、書き直す前の冒頭の段では

  • 「最初、これは俺の女性不信から来るものだと思ってた("俺は自分が女性不信だと思いたくはないが、この不快感はそれを示していそうで不安だった"の方が順序としては一応正しい)。が、俺は女Vでなく男Vへも、それもほぼ100%不快の感情が湧くので、そうとも限らない。一体何からこの気持ちが沸き上がるのか。」

としていた。書き直した後の文章を自分で眺めると、男Vへの不快感と女Vへのそれは全く要素が違う。つまり、俺の内側に異性への暗い感情があることの否定は今回できなかったということになり、疑念がまた強まる。結婚願望はあるのだが、このままではかなりマズい・・・。

日記

・労働

 急に派遣の労働が超嫌になってから丸一か月、ほとんど次を探してもいない訳で、・・・。しょっぱなから丸一日単純作業を週2,3日は確かにキツかった、と分かってはいるものの、次どうしようかなあ。喫茶店か図書館か、客の程度が多少でも保障されてるところで一日数時間週2,3日かな~・・・と思いつつ、大して探してもいない。

 一か月のうちほとんど気分が落ち込んでいて、というか今がたまたまちょっと元気な波なだけかもだけども、何もやることができなかった。ソシャゲばっかやってたら過ぎてた気がする(マジで何してたか覚えてない)。

 なんか・・・。正直10万円控えてるってだけで働く気が全然起きないんだけど、俺本当に何年後かちゃんと(・・・?)健康に生きてるのか・・・?下手に大きな物欲が無い分働くモチベーションが見つかんないんだよな。みんなどうやって働いてんだって考えるけど多分こういうのってそういう次元じゃないんだろうなあ。

・さいきん

 ふとあることがあって、ニートするにしても何かしら活動的になるかあと、まあ半分は暇つぶしとして資格の勉強をなんとなくしてる。ただまあ、もう俺は俺を信じて絶対やりきるなんてことは思えないので、途中で飽きてほっぽりだすか、というか仮に資格取っていいとこ就けても適当に辞めそうなんだよなあ。もはや悲観的ってほどのもんでもなくそこら辺が妥当なとこだと思ってて、いつまで続けられるのか、。(俺の人生大丈夫か?)

終わりだょ~ん(勢い勇んで書き始めたもののマジで最近何も無くて大して書くことなかった